2013年08月28日

「水」が教えてくれる東京の微地形散歩


「水」が教えてくれる東京の微地形散歩

地殻変動で隆起や陥没した台地に対し、地形を変化させていくのは、雨であり、水の流れである。
そのため、地形の面白さや謎をたどっていくと、川の流れが浮上してくる。
都心のようなせいぜい十数メートルのアップダウンの場所は、等高線を目で追って地形を判断することは極めて困難だった。
コンピューターソフトの発達で、はるか上空から見たような光景が、凸凹地図として、手軽に見られるようになった。
このような観点から書かれたのが、本書です。

川を動かし海を陸地に
現在の東京の大まかな地形が形成されたのは、江戸時代初期に徳川幕府による江戸の町作りでした。
人々が快適に暮らせる土地を増やすために、以下の四つの事業が行われた。

1、川を引越しさせ、海を埋め立てる。
 土地を増やすには、浅い海の埋め立てが手っ取り早い。
 同時に、埋める部分の海へ水をもたらす川を移動させなければならない。

 日比谷入り江の埋め立て。
 神田川(現在の日本橋川)を江戸前島(現在の銀座)に外堀川を掘削して江戸湾へ流した。

2、川を征する
 流路を固定させ、洪水を防ぐための堤防の建設や川の付け替えを行う。

 本郷台地を掘削し(現在の水道橋〜御茶ノ水)神田川の流れを、隅田川へ。

3、川(上水道)を作る
 飲み水を確保するための上水道の建設。
 
 神田上水は、神田川の江戸川橋付近まで、海の水が満潮時にさかのぼってくる。
 そのためより上流から引かれた。
 玉川上水は、江戸の町が標高30メートルになるところもあるため、電動のくみ上げポンプが無い当時、
 より標高の高い羽村付近から引かれた。

4、川を変身させ、城を守る濠とする。
江戸城のお濠には、日比谷濠のように○○濠と名のつくものと、千鳥が淵のように○○淵と名のつくものがある。
○○淵は流れる水をせきとめいわばダム湖として作られたもの。
○○濠はそうでないもの、と区別されている。
和田倉濠、馬場先濠、日比谷濠などは、日比谷入り江埋め立て時に、水抜き促進のため、わざと埋め戻し部分を設けたために作られた。

  
 
posted by バスター at 23:35| Comment(0) | 「水」の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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